2011年5月2日月曜日

仁という時代

今日ドラマ「仁」録画を3回見てしまった。
この大震災の今なぜ仁なのだろうと考えた時、思い当たることがある。
維新以前から積み重ねられてきた小さな愛が大きくうねりながら仁という博愛の心に変わっていった。以来143年になった今日、それが以前にもまして大きくなってきている。人が歴史の試行錯誤の中で進むべき道は仁であろう。仁は儒教の用語で「ひとへの思いやり」であるというが、この143年は不十分であったのか。
確かに戦争の20世紀から21世紀もすでに11年になる。いまだ争いの絶えない世界で仁は飽くなき成長を遂げようとする。
それがこれからの時代なのだろう。
維新前夜と今日という日が2重になって見えるのはそのせいなのだ。

2011年4月9日土曜日

東北地方の震災からもう1カ月になろうとしている。

この間に日本には世界から頑張れコールが寄せられて、日本人の一人として感動しないわけにはいかない。

国内でも誰彼と問わず支援の手を差し伸べている。

復興は時間との闘いなのだが、原発事故はどうにも傍観するのみなのだ。

人知を尽くして、体力の許す限り福島第一原発内で頑張っている人たちがいる。

人がたねからねになる時苦を伴うというが、この人たちに私利私欲がないのだ。

素晴らしいと思う。ありがたいと思う。生きていてよかったのだと思う。

明日はいい日であると願う。ただ祈るしかない。